関ヶ原の戦い

  • 2020年10月21日
  • 2020年10月21日
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 タイトルにもある「関ヶ原の戦い」です。切りのいい年号なのでみなさん覚えている人も多いと思います。

 今から420年前の今日(今の暦で計算して)、日本を二分する大きな戦いがありました。

 この戦いは、東軍:徳川家康、西軍:石田三成を中心に岐阜県の関ヶ原で行われたものなのですが、実はここ遠く離れた福岡において、関ヶ原の戦いにかかわり、歴史に翻弄された人物がいるのはご存じでしょうか?

①黒田官兵衛

 福岡藩の藩祖で、この時、本戦には参加しておりませんが、当時の所領:豊前より、西軍の敵を撃っていき、大分と福岡の大半を抑え、東軍の勝利に貢献しています。なお、一説によれば、本戦が長引いている間に九州を平らげ天下統一しようとしていたとか。でも、本戦は15万人以上の兵がいましたがものの6時間ほどで決着してしまいました。これがうまくいっていたら日本の中心が変わっていたかもしれません。

②小早川秀秋

 豊臣秀吉の正室:ねねの甥にあたり、中国地方の戦国大名:毛利元就の子、小早川隆景の養子となった人物です。ご存じの方も多いと思いますが、本戦において、西軍から東軍に寝返った主要人物であり、戦の決着をつけた一番の功労者です。実は、あまり知られていないのがこの小早川は、開戦時に治めていたところは、筑前(福岡北部)で、後に上で述べた黒田が移ることになります。

③立花宗茂

 歴史に詳しくなければ、知らないかもしれません。立花は先日、前回のブログにあったTさんが登った山にあった立花山城を治めていて、戦上手で豊臣秀吉に認められ、柳川を治めることになりました。関ヶ原の戦いでは、大津にいて本戦には参加しておらず、そのまま、西軍が負け、所領を没収されてしまいました。しかし、その後、徳川家康に認められ、旧所領である柳川を再び治めることができました。西軍の大名で旧所領に戻れた唯一の人物です。なお、この立花さんは柳川などを中心に大河ドラマの誘致活動をしているため、近い将来主人公になるかもしれません。

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